1-1. はじめに:33歳、資産7500万円、経済的独立。しかし…
こんにちは。 『からだ職の「まったり」未来設計ラボ』のTatsuです。
まず、僕の「結果」から、お話しさせてください。 2025年6月、33歳になった僕は、一つの節目を迎えました。僕総資産が7500万円を超えたのです。 2019年6月16日に、1000万円を超える借金を背負って開業してから、ちょうど6年。 僕の家族の年間生活費の25倍以上。いわゆる「FIRE(経済的自立と早期リタイア)」と呼ばれる状態を、一応達成しました。
この話をすると、多くの人から「すごいね、一体どうやったの?」と、目を輝かせて、聞かれます。
しかし、もし、あなたが、きらびやかな成功法則や、天才的なビジネスの秘訣を知りたいと願って、この記事を開いたのであれば。 大変、申し訳ありませんが、今すぐ、このページを閉じてください。 この物語は、あなたの期待に、応えることはできません。
なぜなら、これは、成功物語ではないからです。 むしろ、その正反対。 これは、1000万円を超える借金の重圧に、毎晩うなされ、300万円の契約で、無知ゆえに失敗し、過労とメンタル不調で燃え尽きてしまった、一人の凡人な「からだ職」の、泥臭い、そして、あまりにも人間的な、失敗の記録なのです。
1-2. なぜ、僕は、資産額や、失敗談まで、全てを話すのか
僕が、なぜ、これほどまでに、自分をさらけ出すのか。 自慢がしたいからでは、決してありません。むしろ、自分の弱さや、愚かさを、こうして公に語ることは、今でも、身を切られるように、怖い。
それでも、僕が、全てを話すと決めた理由。 それは、あなたの「独立開業への不安」を、僕の物語を通して、具体的な「希望」と「戦略」に変えてほしいと、心の底から、願っているからです。
僕が踏んでしまった、数々の「地雷」の場所を、あなたに、正確に伝えることで、あなたは、その地雷を、避けて通ることができる。
僕が、遠回りをして、ようやく見つけ出した「宝物」のありかを、あなたに教えることで、あなたは、最短で、そこへたどり着くことができる。
僕の失敗は、あなたにとっては、最高の「ワクチン」であり、「羅針盤」になり得る。 そう、信じているのです。
1-3. あなたと僕の、たった一つの違い
この記事を読んでいる、理学療法士、整体師、ヨガインストラクター、ピラティスインストラクター、パーソナルトレーナーである、あなたへ。
断言します。 僕とあなたの間に、才能や、能力の差は、ほとんどありません。 理学療法士のあなたが持つ、深い医学的知識。 整体師のあなたが持つ、繊細な手の感覚。 ヨガやピラティスのインストラクターが持つ、心と身体を繋ぐ智慧。 パーソナルトレーナーが持つ、人を目標達成へと導く情熱。
それらは全て、僕が、喉から手が出るほど、欲しいと願う、素晴らしい「翼」です。
では、あなたと僕の、たった一つの違いは、何か。 それは、僕が、あなたより、ほんの少しだけ先に、この道を歩き始め、あなたより、ほんの少しだけ、多くの失敗を、経験した、ということだけです。
だから、この記事は、偉大な成功者からの「ありがたいお説教」ではありません。 同じ道を、少しだけ先に行く「仲間」からの、泥臭い、しかし、愛情のこもった「冒険の記録」だと思って、聞いてください。
さあ、僕の、6年間の、失敗と、希望の、全軌跡。 その、最初のページを、めくりましょう。
第一章:原点 ―翼を求めて。終わらない“何か”を探す旅―
2-1. 柔道整復師として見た、保険診療の「壁」
僕のキャリアの始まりは、多くの柔道整復師と同じように、安定した組織の中でした。 プロサッカーチームのトレーナーとして、トップアスリートの身体と向き合い、整形外科クリニックでは、年間8000人以上の方の臨床に、無我夢中で、向き合いました。 それは、充実した、学びの多い日々でした。
しかし、組織の中で働きながら、僕の心の中には、ある「渇望」が、日に日に、大きくなっていきました。 「もっと、深く、自由に、目の前の人と向き合いたい」
今でも、忘れられない、一人の患者さんがいます。 長年の膝の痛みに悩む、70代の女性でした。 保険診療の中で、僕に与えられた時間は、20分。 僕は、彼女の膝に電気を当て、マッサージをしました。しかし、僕の柔道整復師としての知識と、理学療法士の同僚たちとの議論で培った経験は、明確に、こう叫んでいました。 「この人の、本当の問題は、膝じゃない。長年の生活習慣で歪んだ、骨盤と、足首だ」と。
しかし、20分という時間の中では、根本原因にアプローチすることは、できません。 僕は、ただ、その場しのぎの施術を終え、「お大事に」と、彼女を送り出すしかなかった。 その時の、自分の無力感と、制度の壁に対する、静かな憤り。 「これじゃない。僕がやりたいことは、これじゃないんだ」 その想いが、僕を、日本から、世界へと突き動かしました。
2-2. 自分探しの海外放浪:セブ島での鬱、アメリカでの衝撃、インドでの静寂
僕は、全てを捨てて、海外へ飛び出しました。
- セブ島での鬱: フィリピン・セブ島での1年間の語学留学。そこで僕を待っていたのは、慣れない環境と、孤独からくる、人生初の「不眠症」と「うつ病」でした。身体を癒すプロであるはずの自分が、心のバランスを崩し、眠れない夜を過ごす。この痛みを伴う経験が、「心と身体は、分けることのできない、一つのものである」という、僕の哲学の、本当の原点となりました。
- アメリカでの衝撃: その後、僕は、本場アメリカ・コロラド州ボルダーで、ロルフィング®︎の資格を取得しました。そこで学んだのは、身体を「パーツ」ではなく、筋膜という、一つの、縫い目のない「構造体」として捉える、全く新しい視点でした。それは、僕が日本で学んできた知識が、一度、ガラガラと崩れ去るような、劇的なパラダイムシフトでした。
- インドでの静寂: そして、僕は、インドのヨガ寺(アシュラム)の門を叩き、1年間にわたる、修行僧としての生活を送りました。そこでは、アーサナ(ポーズ)だけでなく、呼吸や瞑想を通して、常に外側に向いていた意識を、自分の「内側」へと向ける訓練をしました。心の静けさを保つ術。それが、後の「まったり経営」の、哲学的な土台となっていきます。
2-3. 45ヶ国を巡って気づいたこと:「豊かさ」の多様性
バックパッカーとして、45ヶ国を巡る中で、僕が見たのは、お金だけでは測れない、多様な「幸福」の形でした。 イランのモスクで見た、息を呑むような、信仰の美しさ。 コスタリカの山々で感じた、自然と共にある、暮らしの豊かさ。 ボリビアのウユニ塩湖で見た、ただ、そこに「存在する」ことの、奇跡。
それらの経験が、僕の中にあった「成功=お金」という、あまりにもちっぽけで、単一的な価値観を、静かに、しかし、根底から、壊していきました。
2-4. 絶望の淵:ボリビアの集中治療室で、僕が見たもの
様々な知識と、経験と、新しい価値観を武器に、僕は、「もう、自分一人の力で、生きていける」と、少しだけ、傲慢になっていたのかもしれません。 しかし、そんな自信は、いとも簡単に、打ち砕かれます。
旅の終盤、ボリビアで、僕は重い病に倒れました。 現地の病院では回復せず、意識が朦朧とする中、僕は、本気で「死」を覚悟しました。 「僕の人生は、ここで終わるのか」と。
その絶望の淵で、僕を救ってくれたのは、多くの人々の善意でした。 家族や恩師、日本大使館の方々、そして保険会社の方々の尽力で、僕は医療用ジェット機で、日本へ緊急搬送されることになったのです。 フライト中、ずっと僕の手を握り、看病してくれた、見ず知らずの、カナダ人のドクターとナース。 彼らの、あの、温かい眼差しを、僕は、一生忘れません。
この九死に一生を得る経験は、僕の価値観を、完全に、変えました。 「生きているだけで、丸儲け」 「周りの人に支えられて、僕は、生かされている」 心の底から、感謝の念が湧き上がってきました。 そして、「この“拾った”命を、これからは、人のために使おう」と、強く、強く、誓ったのです。
この誓いこそが、僕の第二の人生の、そして、この『未来設計ラボ』の、始まりでした。
第二章:開業の現実 ―借金1000万円と、燃え尽きる日々―
第一章で、僕は、ボリビアでの九死に一生を得る経験を通して、「この“拾った”命を、これからは、人のために使おう」と、強く誓いました。 その、燃えるような、純粋な想い。 それさえあれば、何でもできると、僕は、本気で、信じていました。 しかし、独立開業という、現実は、そんなに、甘くはありませんでした。
3-1. 帰国、そして、無謀な船出
帰国後、その強い想いを、一刻も早く、形にしたいと焦った僕は、一つの、無謀な賭けに出ます。 「駅から徒歩30分、家賃6万円の古いテナントを、700万円かけて、フルリフォームする」 という、挑戦でした。 さらに、開業資金として、僕は、1000万円を、日本政策金融公庫から借り入れました。 合計、1000万円を超える、借金からのスタート。
「家賃という、毎月の固定費を、長期的に、圧倒的に下げる」という、戦略的な意図はありました。 しかし、今思えば、それは、「小さく始め、小さく成功体験を積む」という、この業界のセオリーを、完全に無視した、あまりにも、リスクの大きい、無謀な船出でした。 この、巨大な借金のプレッシャーが、この後の、僕の全ての判断を、少しずつ、しかし、確実に、狂わせていくことになるのです。
3-2. 僕の最大の失敗談:総額300万円のWeb投資という名の“悪夢”
Webの知識は、ゼロ。 しかし、集客しなければ、来月の返済すら、できない。 その、圧倒的な焦りの中で、僕は、人生最大の、ビジネス上の過ちを犯します。 営業マンの甘い言葉に乗せられ、総額300万円のホームページと、予約アプリのリース契約を結んでしまったのです。
3-2-1. 150万円のホームページ:全く集客できず、検索順位は50位圏外の“置物”。
納品されたのは、「プロが作った」とは、到底思えない、古臭いデザインの、ただの“置物”でした。1年経っても、検索順位は、圏外。そこからの予約は、ただの一件も、ありませんでした。
3-2-2. 150万円の予約アプリ:LINE公式で全て代用できる“ガラクタ”。
「これさえあれば、リピートは万全です」と言われたアプリ。しかし、その機能は、全て、無料のLINE公式アカウントで、もっと高性能なものが、実現できる、完全な“ガラクタ”でした。
3-2-3. 契約破棄後も、ローンだけが残る、地獄の日々
そして、何よりも恐ろしかったのが、「リース契約」という、悪魔の縛りでした。 僕は、もはや存在しない、何の価値も生まない、その“幽霊船”のために、そこから4年間、毎月5万円を、黙って、払い続けなければならなくなったのです。
3-3. 予約は満杯、でも心は空っぽ。「黄金の鳥かご」時代
「早く、借金を返さなければ」 「300万円の失敗を、取り返さなければ」
その焦りから、僕は、がむしゃらに働きました。 僕に残された武器は、もはや、自分の「身体」と「時間」だけでした。 朝から晩まで、予約を詰め込み、休日も返上して、勉強会へ行く。 僕の、その、鬼気迫るほどの働きが、少しずつ、口コミを呼び、お客様は、増えていきました。
開業2年目には、個人事業の売上は、1200万円を超えました。 お店は、2ヶ月先まで予約が取れない、地域の「人気店」になっていました。 傍から見れば、それは、順風満帆な、成功の軌跡に見えたかもしれません。
しかし、その実態は、全く、違いました。 僕の心と身体は、売上に反比例するように、どんどん、すり減っていきました。 過労と、プレッシャーで、メンタルは常に不安定。 お客様との会話を楽しむ余裕もなく、ただただ、時間が過ぎるのを、待つ。 大好きだったはずの、理学療法士や整体師、ヨガインストラクターとしての、この仕事が、いつしか、ただの「作業」に、なっていたのです。
僕は、「成功」という名の、「黄金の鳥かご」に、自ら、囚われていたのです。 外からは、輝いて見える。しかし、その中では、翼を広げることもできず、ただ、疲弊していく。
3-4. プロとして、絶対にあってはならない過ち(ダブルブッキング)
そして、ついに、その日は、やってきました。 過労と、注意散漫から、僕は、お客様の予約を、重複させてしまうという、プロとして、絶対にあってはならないミスを、犯してしまったのです。
平身低頭で、お客様に謝罪する、あの、惨めな時間。 お客様の、がっかりとした、表情。
その時、僕の中で、何かが、プツリと、切れました。
「僕は、一体、何のために、独立したんだ?」
「ボリビアで、死の淵から、救われた、この命を、こんな風に、すり減らすために、僕は、生きているのか?」
売上はある。予約も、満杯だ。 しかし、そこに、「幸せ」は、一欠片も、なかった。 このままでは、壊れてしまう。
僕は、全てを、ゼロから、考え直すことを、決意したのです。
第三章:転換点 ―「まったり経営」と「静かなWeb集客」の発見―
第二章で、僕は、自ら作り出した「黄金の鳥かご」の中で、完全に燃え尽きる寸前でした。 売上は上がっている。予約も満杯だ。しかし、心は、空っぽ。 このままでは、僕の魂が、死んでしまう。
その、絶望の淵で、僕は、自分の働き方、そして、生き方そのものを、ゼロから、見直すことを決意したのです。
4-1. インドのヨガ寺で学んだ、僕を救った教え
プロとして、絶対にあってはならないミス(ダブルブッキング)を犯し、自己嫌悪に陥っていた、ある日の夜。 僕は、ふと、かつて1年間、修行僧として過ごした、インドのヨガ寺(アシュラム)での、師の言葉を思い出しました。
「毎日コンスタントに、規則正しく生活することこそが、精神を安定させる、最高の修行である」
当時の僕は、その正反対の生活を送っていました。 日々の予約状況に一喜憂憂し、お客様の都合に、自分の生活を、際限なく、明け渡す。 そこには、何の「規則」も、「規律」もありませんでした。 僕が、自分の人生の「主人」ではなく、完全に「奴隷」になっていたことに、ようやく、気づいたのです。
4-2. 「1日の労働時間を、4時間以内にする」という、人生を賭けた実験
その気づきから、僕は、僕の人生を賭けた、一つの、大きな「実験」を開始します。 それは、周りの経営者仲間が聞いたら、「狂気の沙汰だ」と、笑うようなルールでした。
「1日の労働時間を、4時間以内にする」
1000万円の借金を抱えながら、自ら、労働時間を半分以下に、強制的に、減らす。 それは、全てを失う覚悟がなければ、できない、荒療治でした。
しかし、この決断が、結果的に、僕の全てを、救ってくれたのです。 「時間」という、有限な資源に、厳しい「制約」を課したことで、僕は、初めて、本気で「経営」と、向き合うことになりました。 「どうすれば、短い時間で、最高の価値を、提供できるか?」と。
僕は、無駄な作業を、徹底的に、排除しました。 自分の価値を、安売りするのを、やめました。 そして、何よりも、僕の代わりに24時間働いてくれる「仕組み」を作ることに、全ての知恵を、絞ったのです。
4-3. 自作ホームページによる、逆転劇
その「仕組み」の核こそが、あの300万円の失敗から学んだ、“本当に集客できるホームページ”を、自らの手で、作り上げることでした。
4-3-1. 150万円の業者サイトを超える奇跡
僕は、寝る間も惜しんで、WordPressと、SEOを、独学で学びました。 そして、僕自身の言葉で、僕自身の物語を、僕自身の哲学を、一つひとつの記事に、魂を込めて、書き連ねていきました。 すると、信じられないことが、起こったのです。 僕が、年間たったの2万円の維持費で自作したホームページが、たった3ヶ月で、あの150万円の業者サイトが、1年間かけても、びくともしなかった、検索順位の壁を、いとも簡単に、超えていったのです。 「地域名+整体」という、最も重要なキーワードで、検索結果の3位以内に、僕のサイトが表示されるようになりました。
4-3-2. 「静かなWeb集客」の確立
その瞬間から、僕のビジネスは、一変しました。広告費ゼロ。 売上目的のSNS投稿、ゼロ。 にも関わらず、僕のホームページが、僕の代わりに、24時間365日、僕の理念に、心から共感してくれる「理想のお客様」だけを、自動で、僕の元へと、連れてきてくれるようになったのです。 月に2〜3件しかなかった、ホームページからの問い合わせは、安定して、15〜20件を超えるようになりました。
4-4. 仕事が「作業」から、再び「情熱」に変わった瞬間
そして、この「静かなWeb集客」の仕組みが、僕に、お金以上の、かけがえのないものを、取り戻させてくれました。 それは、仕事への、純粋な「情熱」と「やりがい」です。
労働時間は、半分以下になったのに、不思議なことに、売上は以前よりも安定し、利益率は、劇的に向上しました。 僕は、もう、お金の不安に、心をすり減らす必要がなくなったのです。 心の余裕が生まれたことで、僕は、目の前のお客様一人ひとりと、再び、深く、そして、温かく、向き合えるようになりました。
僕にとって、仕事は、もはや「借金を返すための作業」ではありません。
- お客様との、心温まる「対話の場」であり、
- 症状の根本原因を探求する、知的な「パズルを解く場」であり、
- 僕自身の心と身体も整う、心地よい「運動の場」
へと、変わっていったのです。 僕は、独立開業した、あの日の、最初の「想い」を、ようやく、取り戻すことができました。 これこそが、僕が、あなたに、心から伝えたい「まったり経営」の、本当の姿なのです。
第四章:「黄金の羽」としての、本当の資産 ―僕のFIREの正体―
第三章で、僕は、自ら作り出した「黄金の鳥かご」の中で、燃え尽きる寸前でした。 しかし、その絶望の淵で、僕は「まったり経営」と「静かなWeb集客」という、新しい翼の作り方を発見しました。
この第四章は、その、新しく手に入れた翼で、僕が、いかにして、逆風を追い風に変え、想像もしていなかった高みへと、飛び立つことができたのか。 その、具体的なフライトログ(航海日誌)です。
5-1. コロナショックを、最大のチャンスに変えた資産形成
僕が、働き方を「まったり」へとシフトさせ、経営が安定し始めた2020年。 世界は、コロナショックという、未曾有の嵐に見舞われました。 多くの経営者が、恐怖に震える中、僕は、この嵐の中に、千載一遇の「チャンス」を見ていました。
5-1-1. 投資戦略:2020年の株価大暴落を機に、NISA・iDeCoをフル活用
世の中が悲観に染まっている時こそ、最高の「買い場」である。 僕は、それまで貯めてきた資金を、NISAとiDeCoという、国が用意してくれた、税制上、最も有利な制度をフル活用し、全世界株式のインデックスファンドへと、淡々と、しかし、大胆に、投下し始めました。 僕が、この大きな決断を、恐怖なく実行できたのは、ひとえに、僕のビジネスが、低い固定費で、安定した収益を生む「まったり経営」の土台の上に、成り立っていたからです。
5-1-2. 資産形成を加速させた、2つの要因
そして、僕の資産形成を、爆発的に加速させた、決してスマートではない、しかし、極めて効果的だった、2つの「地上戦」があります。「実家住まい戦略」: 僕は、開業してからの最初の4年間、実家で暮らす、という選択をしました。これにより、月々の生活コストを、実家に入れていた5万円だけという、極限まで抑えることができたのです。両親が優しくて、本当にこの点は恵まれていますので、再現性はあまりないかもしれません。
「固定費削減効果」:ホームぺージを含めた広告費は月700円(サーバー・ドメイン代のみ。※最初に契約した300万のホームぺージとアプリで月5万の支払いはありました。) 僕が700万円をかけてリノベーションした、駅から遠い、家賃6万円のテナント。この「無謀な賭け」が、ここで、大きな意味を持ち始めます。700万を5年で返済する計画+ホームぺージアプリの300万の返済=1000万を5年で返済(本当は無謀です)。ただ、それでも年間200万の返済です(低金利なので細かい計算は入れていません)。テナント代6万を足しても、固定費として、年間272万円。その他、経費を合わせても300万程です。1000万を返済した今、固定費は電気代などを含めて8万程です。今後、僕のお店は経営困難で潰れる可能性は圧倒的に低いと思っています。
僕は、この2つの戦略で生まれた、全ての余剰資金を、ただひたすらに、投資信託へと、注ぎ込み続けました。
1年目から投資信託(eMaxis slim全世界株式インデックスファンド)で運用を行っていた為、順調に総資産は増えていきました。投資の利益は現在1500万になります。投資をしていなかったら、僕の資産は6000万くらいだったと思います。
5-2. 6年間の、リアルな売上と、純利益の全記録
その結果、僕のビジネスは、どうなったか。 以下が、僕の6年間の、リアルな売上の推移です。
- 1年目(2020年): 個人 1080万円
- 2年目(2021年): 個人 1240万円 + 法人 530万円 = 1770万円
- 3年目(2022年): 個人 1370万円 + 法人 590万円 = 1960万円
- 4年目(2023年): 個人 1160万円 + 法人 710万円 = 1870万円
- 5年目(2024年): 個人 720万円 + 法人 660万円 = 1380万円
- 6年目(2025年): 個人 630万円 + 法人 840万円 = 1470万円
僕の売上は、2年目から4年目までが比較的高い数字になり、純利益が1200万程(税金の最適化戦略を取っている為、社会保険料や厚生年金が圧倒的に少なく、手残りが多いです)。プレッシャーと焦燥感に襲われていた為、がむしゃらに働き、身体と心を壊しました。
そこで、5年目で、自分なりの“成功の定義”や“経済的自由の定義”を確立し、一日4時間までの仕事量にしました。「売上最大化」ではなく、心と身体が、穏やかでいられる、という「まったり」とした状態を、維持することを目的としたからです。
5-3. 事業の多角化:日本IASTM筋膜リリース協会と、マシンピラティスパーソナルダイエットジムの開業
そして、僕の「まったり経営」を、さらに盤石なものにしたのが、「収入の柱」を、複数持つ、という、事業の多角化でした。
- 2021年:日本IASTM筋膜リリース協会設立
僕の柔道整復師やロルファー™としての、専門知識(黄金の羽)を、他の理学療法士や整体師、トレーナーに教える「セミナー事業」。これにより、僕は、自分の時間を切り売りする「1対1」のモデルから、自分の知識を、より多くの人に届ける「1対多」のモデルへと、進化することができました。 - 2024年:マシンピラティスパーソナルダイエットジム開業
僕が培ってきた「まったり経営」と「静かなWeb集客」のノウハウを、パーソナルトレーナーである妻に託し、プロデュースした、新しい城。開業3ヶ月で、月商60万円を安定化させ、「忙しくはないが、売上もそこそこある」という、「まったり経営」の実践モデルとなっています。
5-4. そして、33歳、資産7500万円へ
この、「本業」と「事業の多角化」、そして「資産運用」という、3つのエンジンが、噛み合った結果。
2024年: 僕は、あれほど僕を苦しめた、1000万円の借金を、一括で、完済しました。
2025年6月: 僕は、33歳で、総資産7500万円という、実質的な「経済的独立」を、達成したのです。
5-5. 僕が「完全リタイア」しない理由
では、なぜ、僕は、今も、こうして、働き続けているのでしょうか。 それは、この6年間の旅路の果てに、僕が、本当に手に入れたかったものの正体に、気づいてしまったからです。
僕が手に入れたかったのは、「働かない自由」ではありませんでした。 僕が、心の底から、渇望していたのは、
「お金のために、ではなく」
「誰かに、やらされるのでもなく」
「ただ、自分の心が、本当に『やりたい!』と叫ぶ仕事だけを、」
「好きな時に、好きな場所で、好きな人たちと、好きなように、やる自由」
だったのです。 この、仕事と、人生の「主導権」を、完全に、自分の手に取り戻すこと。 それこそが、僕が定義する、「まったりFIRE」の、本当の正体なのです。
終章:あなたの、最初の羽を拾いに行こう
ここまで、僕の、長く、そして決してスマートではなかった6年間の物語にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。 借金、失敗、燃え尽き、そして、死の淵からの生還。 僕の軌跡は、お世辞にも、輝かしい成功物語とは、言えないかもしれません。
しかし、僕が、最後に、そして、何よりも強く、あなたに伝えたいこと。 それは、自慢話では、決してありません。
6-1. 僕があなたに伝えたいのは、自慢話ではない
僕が、あなたに、本当に伝えたいこと。 それは、「あなたの中にも、必ず、あなただけの“黄金の羽”が眠っている」ということです。
僕が、特別な人間だったわけでは、決してありません。 僕が、もし、今のあなたより、少しだけ、豊かで、自由であるとしたら。 それは、僕が、あなたより、優れていたからではない。 ただ、あなたより少しだけ先に、多くの失敗を経験し、その度に、地面に落ちている「黄金の羽」を、一枚、また一枚と、拾い集めてきた、という、ただ、それだけの違いです。
そして、あなたも、すでに、その、かけがえのない羽を、何枚も、その手に持っているのです。
- 理学療法士としての、深い医学的知識という、揺るぎない羽。
- 整体師としての、繊細な手の感覚という、誰にも真似できない羽。
- ヨガインストラクターとしての、心と身体を繋ぐ智慧という、美しい羽。
- トレーナーとしての、人を目標達成へと導く情熱という、力強い羽。
それら、あなたがこれまでの人生で培ってきた、全ての経験が、あなたの翼を構成する、尊い、最初の羽なのです。 どうか、その価値を、あなた自身が、誰よりも、信じてあげてください。
6-2. このラボが、あなたの羅針盤でありたい理由
では、なぜ、僕は、このラボを創ったのか。 それは、僕が、遠回りをして、300万円という、あまりにも高くついた授業料を払って、ようやく拾い集めてきた「黄金の羽」を、この場所で、あなたに、惜しみなく、手渡したいからです。
あなたには、僕と同じ、無駄な遠回りをしてほしくない。 あなたには、僕と同じ、痛みを、味わってほしくない。 この『未来設計ラボ』は、あなたの独立開業という、希望に満ちた航海が、情報不足という「暗礁」に乗り上げ、沈没してしまわないための、「羅針盤」でありたい。 それが、このメディアの、そして、僕自身の、使命(ミッション)なのです。
P.S. その翼を、より早く、より力強くするための、具体的な“武器”について
最後に。 あなたの、その素晴らしい翼作りを、さらに加速させ、より力強く、そして、より安全なものにするための、「具体的な武器」について、お話しさせてください。
あなたの翼の、絶対的な推進力となる「① 圧倒的な専門技術」という羽。 この羽を、誰よりも輝くものにしたいと願うなら、僕が主宰する「日本IASTM筋膜リリース協会」のセミナーが、そのための大きな力になるかもしれません。
そして、その素晴らしい価値を世界に伝え、あなたの代わりに働き続けてくれる「② Web資産」という羽。 僕が300万円の失敗から学んだ全てを注ぎ込み、あなたの開業をサポートする「破格の価格で高品質なホームページ制作」も行っています。
どちらも、あなたの未来設計の、心強い味方です。 しかし、忘れないでください。 全ての始まりは、あなた自身の足元に落ちている、その、素晴らしい「最初の一枚の羽」に、あなた自身が、気づくことから、なのです。