はじめに:
33歳で経済的独立。しかし裏には…
こんにちは。 『からだ職の「まったり」未来設計ラボ』のTatsuです♪
まず、僕の「結果」から、お話しさせてください。
2025年6月、33歳になった僕は、一つの節目を迎えました。
2019年6月16日に、1000万円を超える借金を背負って開業してから、ちょうど6年。
僕の金融資産が、僕の家族の年間生活費の25倍以上である7000万円を越え、いわゆる「Financial indipendence(経済的自立)」と呼ばれる状態を達成しました。
それを達成した「道のり」を、この記事では書いていきたいと思います。
もしあなたが、きらびやかな成功法則や、画期的なビジネスの秘訣を知りたいと願って、この記事を開いたのであれば、 大変申し訳ありませんが、僕はあなたの期待に、応えることはできません。
なぜなら、これは、成功物語ではないからです。
むしろ、その正反対。
これは、無知ゆえの1000万円を超える借金の重圧に、毎晩うなされ、過労とメンタル不調で燃え尽きてしまった、一人の凡人な「からだ職」の、泥臭い失敗の記録です。
なぜ、僕は、資産額や、
失敗談まで、全てを話すのか
僕がなぜ、これほどまでに自分をさらけ出すのか。
むしろ、自分の弱さや、愚かさ、ちっぽけさを、こうして公に語ることは、非常に怖いです。
それでも、僕が、全てを話すと決めた理由。
それは、これから開業や自由を目指す方の「不安」を、僕の経験を通して、具体的な「希望」と「戦略」に変えてほしいと、心の底から、願っているからです。
僕が踏んでしまった、数々の「地雷」の場所を、あなたに、正確に伝えることで、あなたは、その地雷を、避けて通ることができる。
僕が、遠回りをして、ようやく見つけ出した「宝物」のありかを、あなたに教えることで、あなたは、最短で、そこへたどり着くことができる。
僕の失敗は、あなたにとっては、最高の「ワクチン」であり、「羅針盤」になり得る。
そう、信じているからです。
あなたと僕の、
たった一つの違い
この記事を読んでいる、理学療法士、整体師、ヨガインストラクター、ピラティスインストラクター、パーソナルトレーナーである、あなたへ。
断言します。
僕とあなたの間に、才能や、能力の差は、ほとんどありません。
・整体師のあなたが持つ、繊細な手の感覚。
・ヨガやピラティスのインストラクターが持つ、心と身体を繋ぐ智慧。
・パーソナルトレーナーが持つ、人を目標達成へと導く情熱。
それらは全て、僕が、喉から手が出るほど、欲しいと願う、素晴らしい「翼」です。
では、あなたと僕の、たった一つの違いは、何か。
だから、この記事は、偉大な成功者からの「ありがたいお説教」ではありません。
同じ道を、少しだけ先に行く「仲間」からの、泥臭い、しかし、愛情のこもった「冒険の記録」だと思って、聞いてください。
さあ、僕の、6年間の、失敗と、希望の、全軌跡。
その、最初のページを、めくりましょう。
第一章:原点
―翼を求めて。終わらない“何か”を探す旅―
柔道整復師として見た、
保険診療の「壁」
僕のキャリアの始まりは、多くの柔道整復師と同じように、安定した組織の中でした。
プロサッカーチームのトレーナーとして、トップアスリートの身体と向き合い、整形外科クリニックでは、年間8000人以上の方の臨床に、無我夢中で、向き合いました。
それは、とても充実した、学びの多い日々でした。
しかし、組織の中で働きながら、僕の心の中には、ある「渇望」が、日に日に、大きくなっていきました。
今でも、忘れられない、一人の患者さんがいます。
長年の膝の痛みに悩む、70代の女性でした。
保険診療の中で、僕に与えられた時間は、20分。
僕は、彼女の膝に超音波を当てたりマッサージや運動療法を行いました。
しかし、僕の柔道整復師としての知識と、理学療法士の同僚たちとの議論で培った経験は、明確に、こう叫んでいました。
「この人の、本当の問題は、膝だけじゃない。原因は、胸郭と肩甲帯だ」と。
しかし、20分という時間の中では、根本原因にアプローチすることは、難しいです。
その当時の僕にとって、僕がやりたい「評価⇒徒手療法⇒再評価⇒運動療法⇒再評価⇒ホームケアの指導」までもっていくには「時間」が足りませんでした。
僕は、満足度を損なわないために、患部の施術と原因部位への少しの徒手療法を行いました。
つまり、「その場しのぎの施術」を終え、最後に「お大事にして下さい」と、彼女を送り出すしかなかった。
「これじゃない。僕がやりたいことは、これじゃないんだ」
その想いが、僕を、日本から、世界へと突き動かしました。
自分探しの海外放浪:
セブ島での鬱、アメリカでの衝撃、
インドでの静寂
僕は、スポーツ整形を卒業し、海外へ飛び出しました。
- セブ島での鬱:
フィリピン・セブ島での1年間の語学留学。
そこで僕を待っていたのは、慣れない環境と、孤独からくる、人生初の「不眠症」と「うつ病」でした。
身体を癒すプロであるはずの自分が、心のバランスを崩し、眠れない夜を過ごす。
この痛みを伴う経験が、「心と身体は、分けることのできない、一つのものである」という、僕の哲学の、本当の原点となりました。 - アメリカでの衝撃:
その後、僕は、本場アメリカ・コロラド州ボルダーで、ロルフィング®︎の資格を取得しました。
そこで学んだのは、身体を「パーツ」ではなく、筋膜という、一つの、縫い目のない「構造体」として捉え、同時に、運動制御システムから代償を見抜く、という全く新しい視点でした。
それは、僕が日本で学んできた知識が、一度、ガラガラと崩れ去るような、劇的なパラダイムシフトでした。 - インドでの静寂:
そして、僕は、インドのヨガ寺(アシュラム)の門を叩き、1年間にわたる、修行僧としての生活を送りました。
そこでは、アーサナ(ポーズ)だけでなく、呼吸や瞑想を通して、常に外側に向いていた意識を、自分の「内側」へと向ける訓練をしました。
心の静けさを保つ術。それが、後の「まったり経営」の、哲学的な土台となっていきます。
45ヶ国を巡って気づいたこと:
「豊かさ」の多様性
セブ島、アメリカ、インドでの修行が終わった後、バックパッカーとして、45ヶ国を旅しました。
自分が探し求めている「人生のゴール」を定めるための旅。
その中で、僕が見たのは、お金だけでは測れない、多様な「幸福」の形でした。
コスタリカの山々で感じた、自然と共にある、暮らしの豊かさ。
ボリビアのウユニ塩湖で見た、ただ、そこに「存在する」ことの、奇跡。
それらの経験が、僕の中にあった「成功=お金」という、あまりにもちっぽけで、単一的な価値観を、静かに、しかし、根底から、壊していきました。
その経験が、後の開業4年目以降からの経営スタイルを大きくシフトさせる根底にあります。
絶望の淵:
ボリビアの集中治療室で、
僕が見たもの
様々な知識と、経験と、新しい価値観を武器に、僕は、「もう、自分一人の力で、生きていける」と、少しだけ、傲慢になっていたのかもしれません。
しかし、そんな自信は、いとも簡単に、打ち砕かれます。
現地の病院では回復せず、意識が朦朧とする中、僕は、本気で「死」を覚悟しました。
「僕の人生は、ここで終わるのか」と。
その絶望の淵で、僕を救ってくれたのは、多くの人々の善意でした。
フライト中、ずっと僕の手を握り、看病してくれた、見ず知らずの、カナダ人のドクターとナース。
彼らの、あの、温かい眼差しを、僕は、一生忘れません。
この九死に一生を得る経験は、僕の価値観を、完全に、変えました。
「周りの人に支えられて、僕は、生かされている」
心の底から、感謝の念が湧き上がってきました。
そして、「この“拾った”命を、これからは、人のために使おう」と、強く、強く、誓ったのです。
この誓いこそが、僕の第二の人生の始まりでした。
第二章:開業の現実
―借金1000万円と、燃え尽きる日々―
第一章で、僕は、ボリビアでの九死に一生を得る経験を通して、「この“拾った”命を、これからは、人のために使おう」と、強く誓いました。
それさえあれば、何でもできると、僕は、本気で、信じていました。
しかし、独立開業という、現実は、そんなに甘くはありませんでした。
帰国、そして、無謀な船出
帰国後、その強い想いを、一刻も早く、形にしたいと焦っていた僕は、一つの無謀な賭けに出ます。
「駅から徒歩30分、家賃6万円の古いテナントを、700万円かけて、フルリフォームする」 という、挑戦でした。
「技術があれば立地は関係ない」と思っていたからです。
そして、開業資金として、僕は、1000万円を、日本政策金融公庫から借り入れました。
合計、1000万円を超える、借金からのスタート。
「家賃という、毎月の固定費を、長期的に、圧倒的に下げる」という、戦略的な意図はありました。
しかし、今思えば、それは、「小さく始め、小さく成功体験を積む」という、この業界のセオリーを完全に無視した、あまりにもリスクの大きい、無謀な船出でした。
この、巨大な借金のプレッシャーが、この後の、僕の全ての判断を、少しずつ、しかし、確実に狂わせていくことになるのです。
僕の最大の失敗談:
総額300万円のホームページ/
アプリ契約という名の“悪夢”
Webの知識は、ゼロ。
しかし、集客しなければ、来月の返済すらできない。
その、圧倒的な焦りの中で、僕は、人生最大の、ビジネス上の過ちを犯します。
営業マンの甘い言葉に乗せられ、総額300万円のホームページと、予約アプリのリース契約を結んでしまったのです。
150万円のホームページ:
全く集客できず、検索順位は50位の“置物”。
納品されたのは、「プロが作った」とは、到底思えない、古臭いデザインの、ただの“置物”でした。
1年経っても、検索順位は50位。
グーグルマップからの流入に助けられ、予約は入っていましたが、ホームページの文章はすべて自分で再編集したもの。
業者に頼んだ150万円に価値を感じませんでした。
更に、制作会社からSEO対策の方法も教えてもらっていなかったため、自分で検索順位を上げる術がなかったのです。
150万円の予約アプリ:
LINE公式で全て代用できる“ガラクタ”。
「これさえあれば、リピートは万全です」と言われたアプリ。
しかし、その機能は、全て無料のLINE公式アカウントで、もっと高性能なものが実現できる、完全な“ガラクタ”でした。
月々5万円の5年間払いが契約時点で確定しました。
機能しないものに月5万円も払っているというのは、とても心理的につらかったです。
忙しい。売り上げも上がっている。
…でも幸せじゃない。
グーグルマップと口コミ、紹介、そして、ホームページに「自分で書いた」熱い想いが伝わった為か、SEO順位は低いものの、
開業半年を過ぎた頃には100万円を超えない程度の売上が立つようになりました。
しかし、
「300万円の失敗を、取り返さなければ」
という焦りから、僕は、がむしゃらに働きました。
僕に残された武器は、もはや、自分の「身体」と「時間」だけでした。
朝から晩まで、予約を詰め込み、一日5~6セッション(8時間~10時間)×週7日をこなしていました。
お店は、2ヶ月先まで予約が取れない状態も経験しました。
傍から見れば、それは、順風満帆な、成功の軌跡に見えたかもしれません。
しかし、その実態は、全く、違いました。
過労と、プレッシャーで、メンタルは常に不安定。
お客様との会話を楽しむ余裕もなく、ただただ、時間が過ぎるのを、待つ。
大好きだったはずの「施術」や、「ヨガレッスン」が、いつしかただの「作業」になっていたのです。
また、「集客できている理由」も自分でよく分かっていなかったため、予約は取れているにもかかわらず、先行きが見えない感覚でした。
「不安を通り越して、恐怖感」を抱えてしまっていました。
「今、できるうちに稼がなければならない」
そんな、「ならねば」の観念が強く出ていました。
また、その当時「FIRE-経済的独立&早期退職」がブームになり「FIREムーブメント」なんて言われているタイミングでした。
その為、僕も仕事が辛かったので、感化されてしまい、「早くお金をためて、この辛い仕事を辞めたい」と思うレベルにまでなっていました。
あの時は、本当にメンタルが疲弊しきっていたのだと思います。
「いくら好きなことでも、過剰になると嫌いになる」
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」
を痛感しました。
今は本当に仕事に充足感を感じており、辞めたいなんてちっとも頭に浮かんできません。
むしろ、考え方を変えた開業4年目以降からは、お金の為ではなく、趣味としての仕事として、「生涯現役でやりきりたい!」というのが今の夢となっています
あの当時の僕は、「成功=お金持ち」という名の、「幻想/誤認」に囚われ、苦しんでいたのです。
プロとして、
絶対にあってはならない過ち
(ダブルブッキング)
そして、ついに、その日は、やってきました。
過労と、注意散漫から、僕は、お客様の予約を、重複させてしまうという、
プロとして、絶対にあってはならないミスを犯してしまったのです。
平身低頭で、お客様に謝罪する、あの申し訳なく、そして惨めな時間。
お客様の、がっかりとした表情。
その時、僕の中で、何かがプツリと切れました。
「僕は、一体、何のために、独立したんだ?」
「ボリビアで、死の淵から救われたこの命を、こんな風にすり減らすために僕は生きているのか?」
売上はある。予約も、埋まっているだ。
しかし、そこに、「幸せ」は、一欠片も、なかった。
このままでは、壊れてしまう。
僕は、全てを、ゼロから、考え直すことを、決意したのです。
第三章:転換点
―「まったり経営」と
「静かなWeb集客」の発見―
インドのヨガ寺で学んだ、僕を救った教え
プロとして、絶対にあってはならないミス(ダブルブッキング)を犯し、自己嫌悪に陥っていた、ある日の夜。
僕は、ふと、かつて1年間、修行僧として過ごした、インドのヨガ寺(アシュラム)での、師と電話で会話しました。
その時、親身に悩みを聞いてくれて、最後に師から次の言葉をいただきました。
「毎日、余裕をもって規則正しく生活することこそが、精神を安定させる最高の修行である」と。
当時の僕は、その正反対の生活を送っていました。
日々の予約状況に一喜憂憂し、お客様の都合に、自分の生活を、際限なく、明け渡す。
そこには、何の「規則」も、「規律」もありませんでした。
僕が、自分の人生の「主人」ではなく、完全に「奴隷」になっていたことに、ようやく、気づいたのです。
「1日の仕事は、4時間以内」という、
普通でない働き方への路線変更
「まったり経営」の始まり
予約が入って、その時間が空いていた場合、疲れている場合でも、本当は断りたい状態でも、すべてイエスで答えていました。
理由は、美しい道徳的な答えではなく、上記に記載した通り「不安と恐怖」が原因です。
しかし、そんな生活は長くは続けられず、4年目に鬱症状が出るようになってしまったのです。
セブ島で一度経験したので、すぐわかりました。「あ、鬱だ。」って。
そこで、僕は、「自分自身が最大の運用資産であり、何より、幸福の土台そのものである」とうい信念は持っており、そして、先ほどの師からの言葉をきっかけに、すぐに路線変更を決めました。
それは、「最大売上を目指さず、1日4時間の仕事を細く長く続ける、【まったり経営】」です。
この決断が、結果的に、僕の全てを、救ってくれたのです。
自作ホームページによる、逆転劇
「静かなWEB集客」
【まったり経営】と同時に、僕は、どうしてもホームページの上位表示による集客の安定化を目指したい気持ちが強くありました。
なぜなら、前にも書いてた通り、「集客」に対して、「とても不安で強い恐怖心を抱いていた」からです。
そこで、あの300万円の失敗から学んだ、“本当に集客できるホームページ”を、自らの手で、ゼロから作り上げることを決意しました。
150万円の業者サイトを超える奇跡
僕は、寝る間も惜しんで、WordPressと、SEOを独学で学びました。
そして、僕自身の言葉で、僕自身の物語を、僕自身の哲学を、一つひとつのページに、魂を込めて、書き連ねていきました。
すると、 僕が月額たったの700円の維持費で自作したホームページが、たった3ヶ月で、あの150万円の業者サイトが、1年間かけても、びくともしなかった、検索順位の壁を、いとも簡単に、超えていったのです。
「最寄り駅名+ヨガ」「埼玉+ロルフィング」という、最も重要なキーワードで、検索結果の3位以内に、僕のサイトが表示されるようになりました。
「静かなWeb集客」の確立
その瞬間から、僕のビジネスは、一変しました。
広告費月700円(サーバー代)のみ。 SNSの投稿はゼロ。
にも関わらず、僕のホームページが、僕の代わりに、24時間365日、僕の理念に、心から共感してくれる「理想のお客様」だけを、自動で、僕の元へと、連れてきてくれるようになったのです。
月に2〜3件しかなかった、ホームページからの問い合わせは、安定して、10件以上をコンスタントに超えるようになりました。
また、自分の力で集客が安定してできるようになり、対策方法が分かったことで、以前あった「不安 / 恐怖感」が本当に無くなりました。
『いつでも、どこでも、再起可能にさせることが出来る知識と技術、そして自信』、つまり【黄金の羽】の本質部分を拾ったのです。
「作業」の仕事から、
再び「情熱」に変わった瞬間
「静かなWeb集客」と「まったり経営」の仕組みが、僕に、お金以上の、かけがえのないものを取り戻させてくれました。
それは、仕事への、純粋な「情熱」と「やりがい」、「充足感」です。
労働時間は、半分以下になったのに、不思議なことに、売上は安定し、単価も上げたため、利益率や純利益も向上しました。
心の余裕が生まれたことで、僕は、目の前のお客様一人ひとりと、再び、深く、そして温かく向き合えるようになりました。
僕にとって、仕事は、もはや「お金を稼ぐ為の作業」ではなくなりました。
- お客様との、心温まる「対話の場」であり、
- 症状の根本原因を探求する、「知的なパズルを解く遊びの場」であり、
- 僕自身の心と身体も整う、心地よい「運動の場」
へと、変わっていったのです。
僕は、独立開業した、あの日の、最初の「想い」を、ようやく、取り戻すことができました。
これこそが、僕が、あなたに、心から伝えたい「未来設計」の、本当の姿なのです。
第四章:「黄金の羽」としての、本当の資産
―僕のFIREの正体―
僕は、自ら作り出した「幻想/誤認」の中で、燃え尽きる寸前でした。
しかし、その絶望の淵で、僕は「まったり経営」と「静かなWeb集客」という、新しい翼の作り方を発見しました。
この第四章は、その新しく手に入れた翼で、僕がいかにして、逆風を追い風に変え、想像もしていなかった高みへと飛び立つことができたのか。
その、具体的なフライトログ(航海日誌)です。
コロナショックを、
最大のチャンスに変えた
資産形成術
2020年、世界はコロナショックという、未曾有の嵐に見舞われました。
多くの経営者が、恐怖に震える中、僕は、この嵐の中に「チャンス」を見ていました。
投資戦略:2020年の株価大暴落を機に、NISA・iDeCoをフル活用
世の中が悲観に染まっている時こそ、最高の「買い場」である。
僕は、経営と生活に必要な資金以外、すべてを、NISAとiDeCoという、国が用意してくれた、税制上、最も有利な制度をフル活用し、全世界株式のインデックスファンドへと、淡々と、しかし、大胆に投下し始めました。
当時NISA枠は年間120万だったため、それ以上の資金は課税口座(特定口座)の枠も使用して投資しました。
僕が、この大きな決断を、恐怖なく実行できたのは、ひとえに、僕のビジネスが、低い固定費で、安定した収益を生む「まったり経営」の土台の上に、成り立っていたからです。
資産形成を加速させた、2つの要因
そして、僕の資産形成を、爆発的に加速させた、決してスマートではない、しかし、極めて効果的だった、2つの「地上戦」があります。
「実家住まい戦略」:
僕は、開業してからの最初の4年間、実家で暮らす、という選択をしました。
かっこいいものではないので、公にするのが、正直本当に恥ずかしいです。
ただ、事業を安定させるため、不必要なコストを削減するという信念は大切だと思っています。
それでも自分の夢を実現させるために愚直にダサい道を行く。
それが小さく成功する秘訣だと思っています。
変にカッコつけない。変に気取らない。
それを、「人間性の魅力」と、僕は感じるので、実践していました。
これにより、月々の生活コストを、実家に入れていた5万円だけという、極限まで抑えることができたのです。
両親が優しくて、本当にこの点は恵まれていますので、再現性はあまりないかもしれません。
「固定費削減効果」:
ホームぺージを含めた広告費は月700円(サーバー・ドメイン代のみ。※最初に契約した300万のホームぺージとアプリで月5万の支払いはありました。)
僕が700万円をかけてリノベーションした、駅から遠い、家賃6万円のテナント。
この「無謀な賭け」が、ここで、大きな意味を持ち始めます。
700万を5年で返済する計画+ホームぺージアプリの300万の返済=1000万を5年で返済。
ただ、それでも年間200万の返済です(日本政策金融公庫の低金利融資なので細かい金利計算は省略します)。
テナント代6万を足しても、固定費として、年間272万円。
その他、経費を合わせても300万程です。
今後、僕のお店は経営困難で潰れる可能性は圧倒的に低いと思っています。
僕は、この2つの戦略で生まれた、全ての余剰資金を、ただひたすらに、投資信託へと注ぎ込み続けました。
無難な投資先として人気の投資信託(eMaxis slim全世界株式インデックスファンド)で運用を行っていた為、順調に総資産は増えていきました。
投資の評価額は2025年6月時点で、約6000万円付近を推移しており、元本(投資したお金)は4000万で、含み益(増えたお金)は2000万円ほどになります。
もし投資をしていなかったら、今の総資産より2000万少ない5000万くらいですね。
(現金は運転資金/新規事業を見込んで1000万程を手元に置いています。)
6年間の、リアルな売上と、
純利益の全記録
その結果、僕のビジネスは、どうなったか。
以下が、僕の6年間の、リアルな売上の推移です。
- 1年目(2020年):
個人 1080万円⇒純利500万程 - 2年目(2021年):
個人 1240万円 + 法人 530万円 = 1770万円⇒純利1000万程 - 3年目(2022年):
個人 1370万円 + 法人 590万円 = 1960万円⇒純利1200万程 - 4年目(2023年):
個人 1160万円 + 法人 710万円 = 1870万円⇒純利1100万程 - 5年目(2024年):
個人 720万円 + 法人 660万円 = 1380万円⇒純利700万程 - 6年目(2025年):(借金返済による固定費減少)
個人 630万円 + 法人 840万円 = 1470万円⇒純利1200万程
僕の売上は、2年目から4年目までが比較的高い数字になり、純利益が1000~1200万程でした。
結果として、プレッシャーと焦燥感に襲われていた為、がむしゃらに働き、身体と心を壊しました。
そこで、4年目以降、自分なりの“成功の定義”や“経済的自由の定義”を確立し、一日4時間までの仕事量にしました。
個人の売上は1000万以下になりましたが、心の満足度、幸福感は数倍以上になりました。
「売上最大化」ではなく、心と身体が、穏やかでいられる、という「まったり」とした状態を、維持することを目的としたからです。
(法人は僕一人で行っていて、妻が2024年より加入してします。法人を立てている理由は、所得分散による税金最適化/社保-厚生年金の最小化/退職所得控除の使用/など、効率的に手残りを多くする戦略を用いるために使用しています)。
⇒法人(マイクロ法人)の使い方は、いつかブログに書きたいと思います。
事業の多角化
日本IASTM筋膜リリース協会と、
マシンピラティスパーソナルダイエットジムの開業
そして、僕の「まったり経営」を、さらに盤石なものにしたのが、「収入の柱」を、複数持つ、という、事業の多角化でした。
- 2021年:日本IASTM筋膜リリース協会設立
僕の柔道整復師やロルファー™としての、専門知識(黄金の羽)を、他の理学療法士や整体師、トレーナーに教える「セミナー事業」。
これにより、僕は、自分の時間を切り売りする「1対1」のモデルから、自分の知識を、より多くの人に届ける「1対多」のモデルへと、進化することができました。 - 2024年:マシンピラティスパーソナルダイエットジム開業
僕が培ってきた「まったり経営」と「静かなWeb集客」のノウハウを、パーソナルトレーナーである妻に託し、パーソナルジム×飲食店という、差別化されたダイエットジムとしてプロデュースした、新しい城。
開業3ヶ月で、純利益50万円を安定化させ、「1日3時間までの仕事量で、売上もそこそこある」という、満足感の高い「まったり経営」の実践モデルとなっています。
また、事業再構築補助金を使い、初期投資額は750万のうち500万が返済不要の補助金がおり、ランニングコストが月3万円の最強モデルとなっています。
そして、33歳、
資産7000万円へ
この、「本業」と「事業の多角化」、そして「資産運用」という、3つのエンジンが、噛み合った結果。
2024年:
僕をあれほど苦しめた、1000万円の借金を完済しました。
2025年6月:
僕は、33歳で、総資産7000万円で、計算上の「経済的独立」を、達成しました。
また、1日3~4時間の仕事を行い、暇な時間でブログを書いたり、読書したり、散歩したり、カフェに行ったりして、「まったりと充足感の高い生活」が出来ているので、満足しています。
お金を貯めなければ将来が不安だ。という想いもあまり浮かんできません。
なにせ、「生涯現役」を目指しているので、「健康」であれば、お金に困ることはないと、今は感じています。
僕が「完全リタイア」しない理由
では、なぜ、僕は、今もこうして、働き続けているのでしょうか。
それは、この6年間の旅路の果てに、僕が、本当に手に入れたかったものの正体に気づいてしまったからです。
僕が手に入れたかったのは、「働かない自由」ではありませんでした。
僕が、心の底から、渇望していたのは、
「お金のために、ではなく」
「誰かに、やらされるのでもなく」
「ただ、自分の心が、本当に『やりたい!』と叫ぶ仕事だけを」
「好きな時に、好きな場所で、好きな人たちと、好きなように、やる自由」
だったのです。
この、仕事と、人生の「主導権」を、完全に、自分の手に取り戻すこと。
それこそが、僕が定義する、「経済的独立」の、本当の正体なのです。
終章:
あなたの、最初の羽を拾いに行こう
ここまで、僕の、長く、そして決してカッコよくない6年間の物語にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
僕の軌跡は、お世辞にも、輝かしい成功物語とは、言えないですね。
返済目途がないままの重い借金を抱えるという経営判断の甘さ。
鬱症状や燃え尽き症候群などのメンタルの脆弱さ。
これから挑戦するあなたには、僕と同じ轍を歩んでほしくないのです。
僕があなたに伝えたいのは、
自慢話ではない
僕が、あなたに、本当に伝えたいこと。
それは、「あなたの中にも、必ず、あなただけの“黄金の羽”が眠っている」ということです。
僕が、もし、今のあなたより、少しだけ、心が自由であるとしたら。
それは、僕が、あなたより優れていたからではない。
ただ、あなたより少しだけ先に、
という、ただ、それだけの違いです。
そして、あなたも、すでに、その、かけがえのない羽を、何枚も、その手に持っているのです。
- 理学療法士としての、深い医学的知識という、揺るぎない羽。
- 整体師としての、繊細な手の感覚という、誰にも真似できない羽。
- ヨガインストラクターとしての、心と身体を繋ぐ智慧という、美しい羽。
- トレーナーとしての、人を目標達成へと導く情熱という、力強い羽。
それら、あなたがこれまでの人生で培ってきた、全ての経験が、あなたの翼を構成する、尊い、最初の羽なのです。
どうか、その価値を、あなた自身が、誰よりも、信じて、行動に移してみてください。
あなたの「小さな成功」と「心の自由と充足感」を願っております。
ー Tatsu


